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東京家庭裁判所 昭和49年(家)2500号 審判 1974年5月27日

申立人 村松サダ(仮名)

主文

錯誤につき

本籍宮城県栗原郡○○町字○○△△番地戸主三日月重蔵の改製原戸籍および本籍同所筆頭者三日月重蔵の戸籍中、

三女の美子の戸籍について母欄に「三日月ハツ」とあるを「三日月サヨ子」と、続柄、額欄に「参女」とあるを「女」とそれぞれ訂正することを許可する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求めた。

戸主三日月重蔵の改製原戸籍謄本、筆頭者三日月重蔵の戸籍謄本および住民票謄本、筆頭者佐藤敬助の戸籍謄本ならびに当庁調査官代田和一の調査報告書によると次の各事実を認定することができる。

一  三日月重蔵(明治三四年八月二四日生)は村松ハツ(明治二八年二月二〇日生)と大正一三年三月二四日婚姻し、双方間に長女イマ(大正一四年九月二一日生)、二女いく子(昭和九年六月二日生)と出生したが、妻ハツは昭和一四年一月七日死亡したこと、

二  三日月重蔵はその後三日月サヨ子(大正一二年二月一三日生)と懇ろになり、その間に三日月サヨ子は妊娠し、昭和一五年三月三〇日三日月美子を出産したこと、

三  三日月重蔵は右三日月美子を亡妻ハツとの間の「三女」として昭和一五年四月三日出生届をし、それが受理されて三日月美子は三日月重蔵と三日月ハツとの間の「三女」として戸籍記載がなされたこと、

四  三日月重蔵はその後昭和二三年一〇月三日死亡したこと、

五  三日月美子は出生後間もなく東京都渋谷区に住む態野某夫婦に事実上の養子として引取られ、以後その消息は三日月重蔵、三日月サヨ子等に全く分らないこと、

六  しかるに、三日月美子については昭和二九年三月二九日埼玉県川口市○○町○丁目○○番地に住所を定めた旨住民登録がなされているが、これは同女の叔母永井ミヤの遺産相続問題が生じこれに関連して三日月美子に後見人選任の必要が生じたため、実母三日月サヨ子等の方で事実に反して右住民登録をしたものであること、

七  なお、申立人は亡三日月ハツの実弟亡村松半次郎の妻であること、

以上認定事実によれば、三日月美子が三日月重蔵、三日月ハツの三女である旨の戸籍記載は事実に反し錯誤のものというべく、他方同女は三日月重蔵と三日月サヨ子の非嫡出子であるといわなければならない。しかるに、三日月重蔵、三日月ハツはいずれも死亡し、三日月美子も行方不明というものであるところ、この場合戸籍法一一三条にもとづき戸籍上の母三日月ハツを消除し、さらにその後に実母三日月サヨ子を記載する旨の戸籍訂正許可審判をすることができるか問題である。

そもそも親子関係の存否確定を要する場合において、親子のいずれか一方が死亡している場合、生存する他方は検察官を相手方として親子関係存否確定の人事訴訟を提起することができ(最高裁昭和四五年七月一五日判決・民集二四巻七号八六一頁参照)、この場合第三者も人事訴訟法二条二項三項を類推適用して生存する一方、その者も死亡した場合は検察官を相手方として同趣の訴を提起しうるものと解することができる。したがつて本件の場合、三日月サヨ子は三日月美子を相手方として亡三日月ハツとの間の親子(母子)関係不存在確認の訴あるいは自己との間の親子(母子)関係存在確認の訴をそれぞれ提起することができるものといわなければならない。なお、三日月重蔵と三日月美子の間の親子関係については三日月重蔵の昭和一五年四月三日付出生届に確知の効力を認めるのが相当であるから右親子(父子)関係の存在を認めることができる。

しかして、右三日月ハツと三日月美子との間の親子(母子)関係不存在確認あるいは三日月サヨ子と三日月美子との間の親子(母子)関係存在確認の訴をそれぞれ提起することが可能であることと、その場合別途に右親子関係の不存在および存在を理由として戸籍法一一三条による戸籍訂正をなおすことができるかということとの関係であるが、本件の如く三日月ハツが死亡し、三日月美子もまた行方不明という場合で、家事審判法二三条による確定手続を利用できない場合においては、親子関係の存否につき実体上の効力を生じない戸籍訂正を許可することができると解するのが相当である。

したがつて、三日月美子の戸籍について母欄に「三日月ハツ」とあるのを消除し、そのあとに「三日月サヨ子」と記載し、続柄欄に「三女」とあるのを「女」と訂正することを許可するものとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡瀬勲)

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